お盆の起源とは仏教にあると言われている。

正式な言い方は盂蘭盆会と言う。サンスクリット語のウランバーナを音写したものであるが、その意味は「逆さ吊り」だ。

釈迦の十大弟子の一人であるモッガーラーナが亡き母を霊視したところ、逆さ吊りになって苦しんでいた。そこで釈迦に相談したところ、供物を捧げて供養をすれば母は救われるであろうとお答えになったことから盂蘭盆会の法要が始まったとされている。

果たしてモッガーラーナの霊視した母の姿は一体なんだったのか。

一方、神社に参拝するとそご神体として祭られているのは概ね鏡である。
参拝者はその鏡に向かって拍手を打ち礼拝をしている。
ご神体の正面に位置したとき、そこに居るのは自分である。
つまり参拝者は自分を参拝しているのである。

鏡に映った自分が本物だとするならば、本物の自分が参拝している自分を見ている形式である。

これは全ての人の今の生き様を表しているのではないか。

本当はどうしたらよいか答えを知っていながら、その答え通りにすることを避け、それを自分や自分以外の周りの人に正当化するために言い訳をしたり、周りの人を利用したり批判したりしている。
そのように全く逆さまな生き様をしている自分を常に自分が見ているのではないか。

つまり神社の参拝とは、その人の思考の中でやっていることが外に現れた形なのだ。
神社に参拝して自分を礼拝し続けていても逆さまの行動は何も変わりはしない。
常に自分を見ている自分が逆さまの行動を元に戻すしかないのである。
それを教えるために神社のご神体は存在しているのではないか。

さて、モッガーラーナの霊視した逆さ吊りの母の姿とは?

それはモッガーラーナ自身の姿
逆さまな生き様をしている自分の姿を見て、釈迦にその意味を教えられたのではないだろうか。
否、モッガーラーナはそれを知っていて、霊視という手の込んだ手段によって自分にそれを見せたのではないか。

神社のご神体を礼拝しても、自分の生き様が逆さまであることがわからないならば、いや、わかっているのに逆さまな生き様を続けるならば、誰かがその人の鏡として見せてあげなければならない。はっきりと言ってあげなければならない。

「そのまま行ったら、あなたの最も望まない結果を得ることになり、あなたはその結果に向かって現在も選択し続けているのだ!」と。

「逆さまな生き様をしているのだ!」と。

それをやることが自分の逆さまな生き様を元に戻すことなのである。
それでもまだ、あなたは鏡を見せられる側を続けていくのか。


世の中、全ての全てが逆さまなのだ!


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